かなたむんむんブログ

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堺市図書館論争 まとめと個人的見解 前・図書館編

先日から「BL小説を図書館に置くべきか否か」という論争が巻き起こっています(というかここのところ再燃しています)。
カナタは「BL小説(BL小説レーベルから出版されている作品)」は読んだことがなく、
しかもこれまの人生の大部分が悲しいくらいお粗末な図書館としか縁がなかったということから、
この問題に関するさまざまなブログエントリが注目を集めていても、ほぼスルーを決めこんでいました。
そして、目を通せばきっと、本題とはずれたところで自分が怒ったり悲しくなったりすることが確信できていたので読まなかった、という面も確かにありました。


しかし、問題が話題になった当初は、
比較的「図書館のあり方」というところに論点の中心があったと思うのですが、
このところその話題の中心が「BL小説」に本格的に移ってきたような部分も見られ、
一方で、自分が知らぬ存ぜぬで他人事面していることに対しても「それでいいのか」という気がしてきた*1ので、
今回、これまでの経緯の整理と、そこから自分が思ったことを書き綴ってみます。


素人まとめですが、
カナタ以外にも「やっかいな話をしているなぁ」と思ってスルーしている人は結構いると思うので、
この記事が、そんな人がこの問題の内容を齧るキッカケになればいいなと思います。


事の発端

まず、おそらくそもそもの発端はこの「市民の声」ページ。
BL図書を購入した趣旨や目的、またこれまでに購入した冊数及び購入費を教えてください
2008年8月の話だそうで、話題になったのは9月中旬です。
この市民の声では、要約すれば、図書館でのBL小説の開架について、
「文化・教養の場である図書館にこのような本を置くこと、子どもに悪影響をを与えかねない本を市民の血税により大量購入し、公共の場である図書館に開架すること」は「一般常識を理解できない人間」による「市民の感覚に反するようなこと」だ
と激しく非難されています。
はい、まぁ、ページを開く前に想像できる通りの論調です。


私は当時、このタイトル部分を読んだだけでしたが、
"「BL図書を購入した趣旨や目的、またこれまでに購入した冊数及び購入費を教えてください」"
この言葉だけで、「これはきっとBL叩きの声も挙がるんだろうなぁ」と思ったこと、
それと同時に「でも公共の図書館にそういう特殊な本を置くのは確かにどうなの」と思ったことを覚えています。
あと、それ以前からはてな内では図書館の公共性に関する議論がかなりの勢いで交わされていたので、
「こっちにまで飛び火してきた!」と思ったことも認めます。


このページがはてなブックマークで注目を集めたことから、すぐにそれに対するいろいろな反応記事が書かれました。
はてなブックマーク - BL図書を購入した趣旨や目的、またこれまでに購入した冊数及び購入費を教えてください:「市民の声」Q&A 広報・広聴 - 堺市 このページの下方、"このエントリーを含む他のエントリー"や"〜を含む他の日記"欄の、特に日付が9月〜10月の分を参照してください
 (後でいくつかご紹介する記事もあります)


そしてその後、図書館側はこの投書を受けて『露骨な性描写があるイラストや文章があるBL小説について(1)今後、収集しない(2)18歳未満に貸さない、などとする方針を決めた』*2そうです。
(その是非はここでは事実としてのみ置いておきます。)


「図書館」という存在

さて、この問題の主題は、文面通り(最大限、好意的に)受け取れば、

  • 子どもに悪影響をを与えかねない本を公共の場である図書館に開架すること、の是非

であると言えますので、まずその観点からまとめます。


上述した通り、私自身は、この問題を目にしてから2か月程度の長期間に渡り、
「BL小説を、公共の場である図書館で、それと知らずに手に取れる環境に置いておく必要はないでしょう」
「図書館に置かないことで、利用者がBLの魅力に出会う機会を奪うことは良くないことかもしれないけれど…」
「でも税金で、市民の大多数がその存在を認めなさそうな本を購入する*3のはどうなの?」
と思っていました。


しかし、次のエントリを読んで、自分の「図書館」に対する認識不足を感じました。
図書館からBL小説を締め出すな - 火薬と鋼

大体、子どもの読書利用を指導するのは親の義務・権利であって図書館はあくまで制限を最小限にすることを基本としている。そうしなければ、同様のあらゆる理屈で個人、団体、政府による検閲、規制が可能となるからだ。図書館は思想善導の道具ではない。情報提供の場だ。

私だけでなく、きっと冒頭の意見を出した市民他、多くの人々が、
図書館は公共の施設=「思想善導の道具」であるのだ、という過剰な思い込みがあるのではないでしょうか。
私は成年者がエロ本を読むことが悪いことだとは全く思いませんが、
それでも一般の図書館は、「市民にとってためになる」情報が提供される場として存在するのだ、
という思い込みがありました。
市町村の公立図書館は市民の憩いの場であるべきなのだ、
資料的な価値を守るのはもっと別の、専門的に特化された図書館の役割である、と、
ごくごく自然に考えていたのです。
浅学ながら、この記事を読んで初めて、
図書館というものは皆、上記のような理念に基づいて存在しているものだったのか、と知ったのでした。
それぞれの図書館の持つ特殊性から各業務に対する比重の違う面もあるでしょうが…
市町村の図書館を甘く?見てました。


こちらのエントリも、中の人の立場から、図書館運営について書かれています。
BL問題から見る公共図書館への認識 -Tohru's diary

公共図書館が選書をする理由は「全て買う予算がない」からであって、良書を選ぶのが目的ではない


また、長文のため私自身まだ読みこめていないのですが、こちらのエントリも参考になると思います。
図書館がBL図書を置く問題について、参考になりそうな話(1) - 火薬と鋼 (1)〜(5)まであります。

ここで注意してほしいのは、特定の資料を有害とし、図書館から排除あるいは制限しようとするのは、同様の論理で別の規制をも可能とするということだ。図書館は常にそうした権力や規制の濫用を意識しなければならない組織なのである。


ただし、日本の公共図書館の自由は政府や自治体から与えられた自由なので、その辺の感覚が鈍い*2。日本では図書館の自由を巡る議論は1970年代までほぼ存在していなかったとさえ言われる所以である。これはパブリック・フォーラムや公共圏といった議論が日本では難しいのと一緒である。日本語の「公共」「公」は政府・自治体のことであって英語のpublicとのズレがあり、それは図書館問題を議論する上でも影響していると思われる。

図書館と有害図書排除という運動との歴史を知ることができます。


あと、そもそもの図書館の理念がこれ。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/ziyuu.htm

第4 図書館はすべての検閲に反対する


ああ、こんなことならば、もっと早くに『図書館戦争』を読んでおけばよかった!!


それはさておき(笑)。これで、この問題の「主題」の結論はある程度出ると言えるでしょう。
冒頭の意見を出した人は、まずこのことを知った上で、
それでも税金を使ったBL小説の購入に異を唱えるならば、
まずは図書館の存在意義を変えるための行動に出るべきだと私は考えます。


…まぁ、現実的には、堺市図書館のとった対応は、このような「図書館の在り方」に則していないわけですが。
ここまでの論によって、
図書館の対応の「(1)今後、収集しない」という決定は問題だということになりますし、
「(2)18歳未満に貸さない」というのもどうでしょう。
確かに「所蔵すること」とそれを「誰でも閲覧可能な状態に置くこと」の線引きは必要かもしれませんし、
今回管理の手がゆきとどいていなかった(書庫保存のはずが開架されていた)ことも問題でしょう。
しかし出版時点では成人指定の付けられていない本が、図書館では「18歳未満には貸さない」本になるのも、
私は変だと思います*4
そのことは、こちらの記事でも指摘されていました。
条例でも規制されてない資料を図書館が勝手に「18歳未満に貸さない」とか決められる道理ってなに? - かたつむりは電子図書館の夢をみるか



以上が、私なりの図書館の蔵書選びに関するまとめです。


ただやっぱり、問題がこれだけなら、ここまでの論争にはならなかったのだろうなと思ったりもします。
ここでまとめただけでも、現状で結論はある程度見えているわけなので。
それなのに、ああ、それなのに。
というわけで、後・BL問題編に続く。



あと、図書館のBL小説の蔵書冊数を見て「BLばかり集めている!」と感じた人はこのあたりのエントリをご覧になってはどうでしょう。
もう4,000冊くらいBL小説があっても良かったのかもしれない?? - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

とりあえずあえて図書館員が恣意的に選書をしなくとも、と言うか「恣意的にBL本を避けるという選書をしなければ」、5,499冊のBL本所蔵と言う状況も蔵書規模に比してみるとありえない数字ではないということは言えそうかも。

根拠が結構おおざっぱな数字ではありますが、「比率」という視点は大切だと思います。
そしてこのエントリも。資料としての価値。
orangestarの日記

同じテーマの本が5000冊(その中には絶版になってる本も多いと思う)あり、それが特定の年代に支持されている本であるというだけで資料的な価値は非常に高いと思うので、その蔵書を燃やしたりはしないでほしい。

BLに限らず、どういう扱いを受けるものであれ、作品に価値がないということにはなりません。

*1:「腐女子だから」他人事ではない、ということではなく、「社会で起きている問題」として、という意味で

*2:http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK200811040115.htmlより

*3:「認めない」ということの是非はおいといて

*4:後述すると思いますが、「成人向け」等の判定は法律等で一律明確な基準があるわけではなく、都道府県自治体のチェックと出版社側の自主規制により行われています。