かなたむんむんブログ

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作画の受け止め方について考えてみる

作画崩壊とか  (主にマンガやアニメに関するメモ)   情報元:はてブ
 アニオタといえるほどアニメ観てないし、作画に関する知識も皆無なので、
 この記事を紹介するかしまいか迷ったのですが…自分の好きなアニメが取り上げられてたのでつい…


 以下、的外れなことを書いてるかもしれないですが見逃してください。
 グレンラガンの第4話もまだ観ていない程度のヌルオタの呟きです。
 あと印象論とか難しいことはわかりません><
 スタッフとか気にせず普通にアニメ観てる人に向けて、ってことで。


作画が崩壊する?

 まず、作画崩壊とは、主にアニメで著しい作画崩れが起こることを指します。
 ある程度アニメを楽しむ人であれば、「今回絵が変ー」と思った経験はありますよね。
 そういった絵の崩れの酷いものや、紙芝居のように一枚の止め絵で動かないもの、などが本来の「作画崩壊」だと定義されています。
 つまり、予算やスケジュールの都合などによる、アニメの「質」の極端な低下ですね。
 90年代のヤシガニ事件なんかがその代表例でしょうか。


 こういった、質の低下の類の作画崩壊であれば、視聴者は皆でこれは酷い!と嘆き合うことになるわけですが、
 最近の「作画崩壊」では、事件と呼べるレベルの大きな論争に発展することがあります。
 これは酷い、だけでは済まないわけです。


 その原因は、最近の「作画崩壊」と世の中を騒がせた作品には、
 前述のような予算や時間の都合の末の作画崩壊とは全く違うケースがあるからです。
 代表的なものはやはり、元記事↑でも例に挙げられている、
 『SAMURAI7』第7話、『アクエリオン』第19話、そして『グレンラガン』第4話、などでしょう。


 どれも、主に作画・絵柄の面で、前後の回と大きく異なることへの是非が話題になりました。
 これらに共通しているのは、「質が下がってしまった」わけではなく「ある程度制作側の意図が絡んでいる」という点です。
 つまり、制作を担当したスタッフの独自のカラー(もしくはアク)が強く出た結果、
 その作品の前後の回と全く異なる印象を受ける出来になっている、というものですね。


 こういった場合、えてしてクリエイター個人として著名な方が担当していることが多く、
 『その方自身の作品』としては完成されていたり、また、監督や製作陣がその効果を期待して依頼していると思われるケースもある、
 という点が論争を呼ぶミソです。


 「こんな絵柄は受け入れられない」「キャラクターを崩すのはやめて欲しい」という声と、
 「なんでこの神作画(この場合「動き」まで含まれます)の良さがわからないんだ!」という声がぶつかるのです。


 これは、それぞれのアニメに求めるものの違いや、
 経験としてこれまでに観たアニメの量、アニメに関する予備知識なんかが影響していると思われます。


 たくさんのアニメを観てきた人…特に手描き時代のセル画アニメを観ていた世代にとっては、
 最近のような「毎回キャラクターの顔が設定画とほぼ同じ」なんてことは物凄く稀だったような気がします。
 だからこそ、伝説的な神作画(一般的にわかりやすい絵柄的な面で)に出逢った時には身体が震えたものです。
 「ちょっと、今回の○○、格好良すぎる…!!」……で、翌週にはがっかりしたり(笑)
 こういうことは、現在でもある程度はあるでしょう。
 そんな時、既に別の視点からアニメを楽しむことを知っている経験者に比べ、
 アニメ経験が少ない人の方が、より一層表面的な絵柄に振り回されてしまうのは仕方ないことかと思います。
 むしろそういった経験を繰り返すうちに、「今回は誰が描いているのか?」ということに興味を抱き、
 EDのスタッフロールに目がいくようになってようやく、作画オタへの第1歩を踏み出すわけです…(笑)


 ともかく、基本的に、登場人物に感情移入して観る、というのがオーソドックスな見方だし、
 アニメにはビジュアル要素も欠かせないものなので、
 「何なんだ今回!」と嘆き憤る視聴者層を頭から否定することは無碍ないことだと思います。


 もちろん「わかってない奴らのくせに何を言うか、神作画じゃないか!」と言いたくなる方たちの気持ちもわかります。


 ただ、言いたいことは…「今回の絵酷いな、観る気しねぇ」。
 ここで終わりにしてしまうのはアニメを楽しむ上で非常に勿体ないよ!!


 これを書いているカナタ自身、作画やスタッフに関してそれほど詳しいわけでもないし、
 やっぱりキャラクターの顔が崩れたりすると非常に残念です。
 キャラクターデザインをされた方が作画監督の回なんかはそれだけで神作画来たー!と興奮するし、
 エウレカセブンの第3期OPでは ( ゚Д゚) となった人間です。


 でも、だからこそ、そこで終わりにしないでおこうよ、と言いたい。
 そんな部分に漬けこんで溢れるネガティブコメントに流されず、
 もう少し、「なぜこの作画・演出なのか」「凄いとか言ってる人は何でこれを支持するのか」を考えてほしい。


 例えばカナタは、エウレカOP絡みで『アニメでの落下表現』の難しさを知り、OPの見方がちょっと変わりました *1
 せっかくのアニメーション作品なのに、絵柄だけにとらわれるのはやっぱり勿体ないのだ。


 もちろん、それでも受け入れられないことも多いでしょう。
 それぞれ趣味趣向があるし、カナタだって無理なものは無理です(笑)
 でも頭から否定して目を背けてしまうことと、周囲の情報に目を向けてみることには大きな違いがあると思うのです。
 そして、その情報を得ることで、見え方が変わってくることだってあるはず。
 せっかくそういった情報を集めやすい時代になっているのだからそれを逃す手はありません。
 自分で考えて、もちろんそれ以降の回も観て、結論を下すのはそれからの方が良いと思います。


 そうやって徐々にアニメを観る目が鍛えられていくことでアニメ文化ってもっと豊かになるんじゃないかなぁ。
 そもそもアニメって、物凄い技術が注ぎ込まれている割に、受け手がそれを完全に把握できてない部分が多すぎる気がするんです。
 本当の凄さがわかっている人って、ごく一部だと思う。特に動きの面で。
 自分達が日々見慣れている分、それを二次元に落とし込み発展させることがどれほど凄いことなのか!
 (カナタも、まだまだ勉強中です。むしろ誰かレクチャーして欲し…)


 結局論点がどこなのかわからなくなってしまいました。
 そもそも、なんでこんな話を書こうと思ったかというと、
 個人的に『SAMURAI7』第7話が大好きだからです(なんという単純な)。
 今回、やっぱり第7話も作画崩壊って言われてたんだなーと知って、手元にあるDVDを見直してみました。
 確かに、全体のタッチ・描線が前後の回と全然違ったり、動きが独特だったりします。
 でも、これ、改めて見直してみて、他の『アクエリ』や『グレンラガン』と比べたら、
 ものすごく一般視聴者側にも配慮されてる方なんだなぁ、と思ったんですよ。
 なぜなら、アップになった際の主要キャラクターの顔はほぼキャラ表通りだ、と気づいたから。
 確かに、サブキャラクターのデザインは特異だし、主要人物の顔もかなりデフォルメされたりしていますけど、
 決めシーンではちゃんとキャラ表に合わせて描かれているんです。
 特にシチさんの男前っぷりなんて他の回と比べてもピカイチですよ!(このへんキャラ萌え入ってるんでスルーしてください)
 そしてこれが肝心ですが、演出、カメラワークや間の取り方が素晴らしい!
 それなのに、絵柄や雰囲気であー今回駄目だわ、と思ってちゃんと観なかったとしたら、
 この演出や空気感や男女の心の機微を楽しめなくなっちゃうんですよ…っ。
 (もちろんこれだって、カナタの好みに合うだけであって、駄目な人には駄目なのでしょうが><)


まとめ

 だから結局言いたいことは…
 第一印象や雰囲気の違いに捉われず、もうちょっと視点を変えて楽しんでみてはどうだろう。
 駄目、と思ったからシャットダウンするんじゃなく、間口広げて受け入れてみるのも面白いし、少なくとも損は無いはず。

  • 絵柄が全然違うのに、支持する人がいるのはどうしてか考えてみる。
  • 支持する人は、どこが凄いのかを伝えようとしてみる。

 そうすれば、作画崩壊に絡んだ言い争いとかも、もう少し生産的になると思うんだ!


おまけ

 ちなみに、7話の作画を一部担当されている森久司氏の作画MAD
  


 あとエウレカOPやアクエリオン19話と話題になることが多い、うつのみや理氏の作画MAD
  


 こういうの観ると、アニメってすげー!って思いますよねっ。鳥肌立つぜ。


関連URL

 作画@wiki
 ↑トップページのお言葉:『このwikiやMADを見ただけで作画ヲタになった気にならないでください、日々是精進。』
  この情報量を持ってしても…なんという険しい道ぞ!


SAMURAI 7 第4巻 (初回限定版) [DVD]

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*1:確か京田監督や西尾鉄也氏のコメントを読んだ影響だったはずなんですが、出典忘れた