かなたむんむんブログ

むんむんっとした事を書き綴ります

アニメの作り手さんになかなか関心が向かない理由とか

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080602/1212438532
 この記事のラスト、ほぼ余談にあたる部分に関して、思うことをつらつらと書いてみようと思います。


 当該部分を抜粋。

 たとえばマンガやライトノベルで、
 作者にまるで興味のない、名前も認知しないファンというのはあまりいないと思われるが、
 なぜアニメになると監督なんか知るかというひとが現われるのか不思議である。
 特定の作り手の個性の反映されにくい集団作業と思われているから、なのだろうか。


 http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080602/1212438532

 これに関しては皆さんそれぞれいろいろな意見があるらしく、
 この記事に対するはてなブックマークコメントもこのラスト部分に対する反応が非常に多いです。
 かく言うカナタもそんな一人(笑)思わずこうしてブログ記事を書き始めてしまいました。
 以下、それらのコメントと重複する内容もかなりあります。


好き、のレベル

 ある作家が好きである。
 あるミュージシャンのファンである。
 これはよく聞く話です。「一般の」人に言っても、そんなに変な顔はされません*1


 しかし、一言で「ファンである」と言っても、「その人のある作品を好きである」という程度から、
 「出演番組や雑誌をチェックする」、「サイン会やライブなどに足を運ぶ」、
 はたまた「その人のブログを毎日チェックする」、「ファンクラブに入る」まで、そのディープさは様々です。


 マンガでも、「ある漫画家が好き」の中には、
 「その漫画家のある作品のコミックスを持っている」から、
 「その漫画家の作品は全部集めている」、「連載誌を購入している」、
 「コミックス持ってるけど愛蔵版も購入」、「当時の雑誌の切り抜きまでとってある」…とかいろいろ。


 それをアニメに置き換えてみると、「そのアニメを毎週観ている」が基本。
 でも、その先は本当に様々なんですよね。
 あるアニメを好きになって、その次に取る行動として一般的なのは、
 アニメ雑誌を購入して特集記事を読んだり、そのアニメの原作作品を遡ったり、でしょうか。
 制作スタッフをチェックして、その人達が関わっている別の作品を観よう!という人はかなりの少数派のようです。


 漫画家の名前は追いかける人でも、アニメの監督にまではなかなか頓着しない。
 その差は何でしょうか?


作品の向こうに作り手が見えるか

 まず、元記事でも触れられているように、アニメは集団で作られるものなので、
 「小説→作家」「マンガ→漫画家」のように、ある特定の作り手になかなか直結しないことが挙げられるでしょう。
 これは、「アニメの登場キャラクター→声優」という流れでファンになる人は比較的多い、という点からも逆に伺えます。


 特定の作り手に繋がるためには、「その人が作品に対して何をしたか」がイメージできないといけません。
 歌は、「あるミュージシャンが演奏したり歌ったりしたもの」。
 マンガは、「ある漫画家が話を考えて絵にしたもの」。
 アニメのキャラクターは「ある声優さんが演じている」。
 そして作り手に関心を持つに至るもっとも大きな動機は、その人の別の作品にも触れてみたいという欲求であり、
 そうやって追いかけて新しい作品に手を出す時には、元々好きになった作品と同系統の魅力を期待するわけです。


 実際には、ヒット曲の裏には歌い手よりも作曲者やプロデューサーの力があったり、
 小説やマンガだってその裏には編集者が必ず存在するわけですが、
 自分が感じた魅力をそこまで分析し追求していく人は少ない。
 その最大の理由は、情報が前面には出てこない=わかりにくいからです。


 逆にその隠れた作り手の個性が明確に、わかりやすくなれば、その部分が好きだ、という人は必ず増えます。
 例えば、Perfumeの人気の半分はプロデューサー中田ヤスタカ氏の人気だと思うのですが、
 これも、「彼が作っている曲」のカラーが非常にわかりやすいからです。
 もしも作詞作曲を別の人が行っていれば、プロデューサーの人気が高まる、という現象は起こらないでしょう。


 アニメでいえば、監督やシリーズ構成、といった人達は、
 作品の根幹に関わっていながら、具体的に作品にどういう影響を与えているのかがわかりにくい役職です。
 そこで、見えない作り手を追いかける人は必然的に少なくなります。


作品の魅力と作り手の持ち味が直結するか

 前述したように、作り手を追いかけて別の作品に手を出すのは、
 元々好きになった作品と同系統の魅力を期待するからです。


 新作アニメを観るかどうかを考える時、
 そのアニメの「質」の予測を、出演声優や絵柄(=キャラクターデザイン)で判断する人は多い。
 これも「ビジュアル」や「声」といった魅力はわかりやすいから。
 そこで判断しておけば、少なくとも、そういった非常にわかりやすい部分での魅力は保証されます。


 一方、監督はどうでしょう。
 ある好きな作品があったとして、その監督の新作をチェックします。
 しかし、その新しい作品は世界観やストーリーが異なるのはもちろん、
 キャラクターデザインも、出演声優も、全てが違います。
 前作と共通する「空気」があるかどうかは、実際に観て感じてみるしかありません。


 例えば、現在最も名前で認識されているアニメ監督といえば、やはり宮崎駿監督でしょうが、
 世の中には宮崎監督自身が一枚一枚絵を描いている、と思っている人もいまだに大勢いる気がします。
 つまり、宮崎作品を本当に「監督」という視点で追いかけている人は少なく、
 多くの人は「ジブリ作品の絵柄」で認識し追いかけていることになります。
 (それでも同じ人物が生み出す魅力に触れることになるので、結果としては同じなわけですが)
 例えば「ナウシカ」と「ラピュタ」と「トトロ」の絵柄が全く違ったものだったとしたら、
 ここまで「宮崎作品」としてのネームバリューは高まっていたでしょうか?


 また、作品を支えるスタッフが変わっても、濃厚な個性を滲ませる監督がいらっしゃる一方で、
 監督でも、作品が変わると、全く異なる手法を用いる人もいる。
 それに、多方面にメディア展開するような作品になればなるほど、
 様々な大人の事情も絡んできたりして、監督の意思がしっかりと反映されるとも限らない。


 こうやって書くと、やはり監督で追いかけるというのはハードルが高い気がしてきます。
 しかもテレビアニメは、映画などと違って、気軽に自宅のテレビで30分で観られる。
 監督がどうこう、参加スタッフが云々とまで拘って調べるより、絵が気に入ればとりあえず観てみればいい。
 アタリだと思えばそのまま観ればいいし、面白くなくなれば、他にも放送している作品は山ほどある…
 今の作品数の多さだと、こうして広く浅くアンテナを広げる人もたくさんいるのでは?


 では、そんな作品達の中で、めちゃくちゃクオリティの高い回、いわゆる「神回」に出逢ったとします。
 EDでどのスタッフの名前を確認するでしょうか?
 作画に感動すれば作画監督。ストーリーや台詞回しに泣いたなら脚本。演出に痺れたなら絵コンテや演出。
 …あれ、監督は?


 監督って、作品全体を統括する立場なので、評価も作品全体の総合評価で判断することになりがちです。
 このあたりも、余計に意識し難い理由だと思います。
 


 ちなみに、上に挙げたような、作画や脚本というスタッフ陣に視点を移すと、
 作り手を意識する上で、その内容に触れる前に作り手の名前を知る、というのも大きい気がします。
 「この作家が書いた小説ですよ」「この声優が演じてますよ」ということは容易に意識することができるけれど、
 「今回はこの脚本家が書いてますよ」「今回はこの人が作画監督してますよ」はEDにならないとわからない。
 作画レベルになると、どこを誰が描いたかはほとんど明らかにされません。
 やっぱり、作り手を認識するためには、わかりやすさが重要そうですね。


それは、アニメに限った話ではない

 こうして述べてきたことは、「マンガやライトノベル」と「アニメ」で比較すると、
 「なぜアニメスタッフには関心がないの?」という気分になりますが、
 「アニメ」「映画」はたまた「テレビ番組」で比較するとまた印象も変わりますよね。
 極論ですが、アニメをスタッフでチェックするというのは、
 お笑いを好きな人が、バラエティ番組を出演している芸人さんではなく、構成作家で評価するようなもの。


 アニメや映画のスタッフをチェックする人でも、
 好きなバラエティ番組の構成作家までは追いかけるとは限りません。
 結局、どこまでアンテナをはり巡らせていくのかは、
 ジャンルごとの違いというよりも、「好き」の程度の個人差なのだと思います。
 

 また、制作の舞台裏に注目しすぎることで生じる弊害、もあるでしょう。
 例えば監督が「このキャラクターがあの場面でとった行動の意図は…」と語ったとして、
 それを知ることを良しとするか、否か。
 「作品だけを観ればいい。そこから伝わってくるものだけを感じればいい」というのも一方で真実です。
 これもアニメに限った話ではないですね。
 音楽でいえば「『ロッキング・オン ジャパン』を読むべきかどうか問題」、みたいな。


 総じて、どこまで意識的に追いかけていくかはその人それぞれの匙加減だと思います。
 監督なんて気にしない。それはそれでアニメを観る姿勢として間違っているとは思いません。
 ただ…アニメに限らず、一つの作品の裏には、大勢の人の手がかけられているということは知っておいてほしい。
 そして作品のファンであるなら、作り手の人達への感謝は、胸にしっかりと抱いて欲しい。
 一オタクとしてそう願います。
 その点は、元記事に激しく同意!


そうは言いつつも…本音

 『どこまで意識するかはその人それぞれの匙加減』。
 自分でそう言いつつも、やっぱり「少しは作り手さんに目を向けた方が楽しかったりするよ」とも思うので、
 そのへんの話を蛇足的に。


 それぞれの作り手さんを意識することで何が楽しいのかというと、
 アニメの見方がちょっと変わったりする、という点。
 そして、作り手さん繋がりで新しい作品に出会うきっかけを得るという点。


 例えば、好きなアニメを観ていて「今回の話特に面白かったなぁ」という感想を持ちます。
 そこで止まらず、その回のスタッフの名前を胸にとめておく。
 スタッフを意識することで、自分がその回の「何」を良いと感じたのかを分析できます。
 絵が良かったなら作画のお名前を見るでしょう。演技が良かったなら声優さんのお名前を探すでしょう。
 そして、それを繰り返していると、「自分が好きな回に関わっているスタッフさん」というのが必ず現れます。


 そうやって自分の感覚だけで探し当てた方というのは、かなり相性が良い証拠。
 個人的には特に、脚本家さんはこの方法で名前を追いかけていくのはかなり有効だと思います。
 (基本1話ずつ担当されているし、結構その人のカラーがわかりやすい)
 自分の観たアニメの中で、特に好きな回があるならば、
 試しにその脚本さんがたくさんの話を担当されている、別のアニメを観てみてはどうでしょうか? 



 また、名前なんて全然わからないし、まずはある程度指標が欲しい…
 という方には、以下のメディアあたりをお勧めしておきます!
 何事を始めるにも、きっかけが一番困難に思えたりしますからねー。


 まずは、↓の記事で書かれているように、今Newtypeが熱い!
http://d.hatena.ne.jp/AKIYOSHI/20080513#p1
http://d.hatena.ne.jp/AKIYOSHI/20080517
 

Newtype (ニュータイプ) 2008年 05月号 [雑誌]

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 現場の監督やプロデューサーに今注目しているクリエイターを聞くという、
 『このクリエイターがすごい!』という特集が凄かった5月号。
 演出家、作画、シナリオライターと各分野を網羅しております。

 

Newtype (ニュータイプ) 2008年 06月号 [雑誌]

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 6月号では、ページ数は4Pと少ないながらも脚本特集『脚本術!』(内容は濃いよ!)。


 というわけで、安価で敷居も低い最近のNewtypeを一番にプッシュしたいのですが…
 残念ながら5月号は角川書店在庫切れだそうで。
 あちらこちらでは逆に値上がりしているようで、気軽には手に入りそうにないですね。


 あとは、カナタは立ち読みレベルで実際に購入していないのでなんとも説得力がないのですが、
 雑誌ならオトナアニメが面白いです。

オトナアニメVol.8(洋泉社MOOK)

オトナアニメVol.8(洋泉社MOOK)

 さらにマニアック?に追及するなら、アニメスタイルを定期的にチェックしてみるとか。
WEBアニメスタイル


 カナタもまっだまだ勉強中です。


さらにオマケというか具体例?

 例えばカナタはエウレカセブンがものすごく好きなわけなのですが、
 エウレカで最も好きな作画監督だった倉島亜由美氏がキャラクターデザイナーで、
 エウレカ第26話の演出担当の宮地昌幸氏が監督、という『亡念のザムド』を現在非常に楽しみにしています。わくわく。
 NT5月号の夕暮れのイラストで王道のドファンタジーものかと思いきや、
 公式HPのトップイラストでロボットもの!?と惑わされ、
 さらには主人公は高校生?…と、いまのところ情報に振り回されっぱなしです(笑)
 どんな話なんだろう??
http://www.xamdou.com/


*1:あくまでメジャーどころの名前を挙げたにも関わらず既にその時点で「本読むんだね!」だの「音楽好きなんだー」だのと感心されたりしてなんかもう絶望的な断絶を感じることもありますがそれは別にして…