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かなたむんむんブログ

むんむんっとした事を書き綴ります

ブログ分離や人格管理を考える理由と、その先にあるもの

履歴書としてのブログと日記としてのブログは完璧に別の場所でやる必要がある  (KAZAANATOMY)
ネットでの人格管理あなたはちゃんと出来てますか?  (妖精ホルモン)   (情報元:はてブ


先日話題になっていたこれらの記事が面白かったので、遅ればせながら自分の感想を書いてみます。
まず最初に、記事の内容をちょっと紹介。まず上の記事。

 どう見ても一人ひとblogじゃ足りない、3blogはほしい。
  - 知的生産のツールとしてのblog(履歴書的ポジション)
  - 精神的な悩みを打ち明けたり恋ばなをしたりするblog(チラシ裏・日記)
  - リアル友達と繋がるためのmixiのアカ(馴れ合い)


   履歴書としてのブログと日記としてのブログは完璧に別の場所でやる必要がある より

それを受けた、2つ目の記事。

 会社やギーグな友人にはプログラム技術についての話はするけど、自分の子供を馬鹿みたいに溺愛してる姿は見せないし、取引先の専務に丁寧な言葉使いで自分の性癖をさらけ出すなんてことも無い。


 こういう風に複数の顔を同時に見せる場面というのは現実世界にはあんまり無いのだけど、ネットだと簡単に見せられる。
 難しげなソースとかの解説の次ページにエロイこと書いてみたり出来る。ワンクリックでこんにちは!


 ネット上ではこういう風に見せるべき人格の分離がちゃんと出来てないことが多いです。
 というよりも、意識されていないことが多いのです。


   ネットでの人格管理あなたはちゃんと出来てますか? より


あくまで抜粋ですので、ぜひ元記事を読んでみてくださいね。


このブログは何ブログ?


さて、うちのブログは「履歴書ブログ」か「日記ブログ」かというと、圧倒的に「日記ブログ」です。
毎日あったことを徒然に書くのがメインで、オタクとしての自分の「日記」を綴っています。一応オタク絡みの出来事をメインにはしていますが、そこまでオタク話に特化しているわけではなく、日常の取るに足らない話題が大半。


けれども時々、「日記ブログ」としてだけではもの足りなくなるときがある。
お勧めウェブサービスの活用方法についてちゃんと書いてみたくなったり、面白い作品や記事に対して自分の感想や考えを述べたくなったりする。うちのブログ内で時々現れるこういった記事は、『知的生産ツールとしての履歴書ブログ』寄りな記事になるのではないでしょうか。
となると、うちのようなチラシ裏ブログでも、「履歴書」的な側面と「日記」を混同していることになります。さらにうちは、その他の個別エントリも、動画まとめだったりアニメ話だったり写真日記だったりとバラバラ。
そもそも『「腐女子による」オタク談義』と銘打っておきながら、腐女子話ほとんどしてないですからね。むしろべびプリべびプリ言ってますからね *1


これこそやはり、「見せるべき人格の分離ができていない」。
言い換えれば「ブログテーマ=ブログの顔」が確立できていないということでしょう。
そのことによるマイナス部分は、もちろんたくさんあります。


例えば、うちには何件か、ニコニコ動画のボーカロイド関連のまとめ記事があります。しかし、それを目当てにうちのブログにやってきた人の大部分は、その他の記事、特にカナタの日常の話なんて、本来興味がない。
つまり、記事を読む側の立場に立てば、うちのボーカロイド記事を気に入ってくださればくださるほど、その人はうちのブログがボーカロイド情報ブログ(=一応『履歴書』ブログ的ポジションになり得る?)ではなく単なる日記ブログだったことにがっかりされるというわけ。


さらに後ろ向きな話になっちゃいますが、他にも、カナタはこのブログで、自分の「マンガ好き」という人格に「腐女子」である人格を混同しているために*2、どんなに情熱をこめて大好きな作品のマンガ評を書いたとしても、一部の人には「そんなこと言ってたって結局ホモ匂わせる描写があればいいんだろ」と思われてしまう危険性があります。
これは、「漫画ブログ」としては致命的!


また、逆に「腐女子です」と名乗りながら、「べびプリ良いよね!!女の子大好き」とか言っていると、これまた一部の人には、「なに?自分はホモだけじゃないですよーアピール?そんな人は安易なキャラ付けとして腐女子名乗らないで欲しいわ」なんて思われてしまう可能性もあります。もちろん、その一方で、べびプリ関連でうちのブログに辿り着いた方が「腐女子」の文字に即引き返すケースもあるでしょう。


例えが全部、腐女子であることが悪い、みたいになってきてますが、そうではなくて(笑)
要は、ニッチなテーマを扱った記事というのは、その話題に興味がない人にとっては単なるノイズに過ぎない。その逆も然りで、明確なテーマに沿った情報を求める際には、それを書いた人の素顔というのはあまり重要ではない場合が多いし、それどころか素の書き手の情報が、マイナスに働くことさえある。
最初に挙げた二つの記事は、こういったことを指摘した上で「もうちょっと『ブログ=書き手』として読まれることを意識してみるといいんじゃない?」と提案されていて、カナタはその点に非常に共感しました。


あえて「自分」を混同させる理由


では、上記のようなことを自覚していながら、どうしてカナタ自身はこのブログの内容を分けないのか?
もちろんブクマコメント等で多くの人がおっしゃっている通り、「いくつものblogを管理するのが面倒だ」という物理的な理由もあります。他にも、テーマを絞ったブログを運営するには、それなりの情報や読み物を提供するための力や時間が必要だし、日記だって、独立させてチラシ裏な内容ばかりだと、人が来なくて寂しいし。そういったブログを運営していく上での裏事情もたくさんあります(笑)
  
でも一方で、自分自身が読者になった場合、『書いている人のいろんな面が見えるブログの方が面白いと感じる』というのも事実なのです。
  
「うちのブログ」という括りから離れて、一般的な話になりますが、人気のあるサイトの管理人さんの中には、そのサイトやブログのテーマから独立して人気がある人がたくさんいらっしゃいますよね。また、twitterなど「個人=中の人」自身が前面に出る場面でも、たくさんのサイト管理人さんが人気を集めています。
このあたりを鑑みると、ある面白いブログ記事に出会った時に、「それを書いた人」にも興味を抱くのはそこまで少数派ではないと言えるでしょう(と思いたい)。一歩間違えればある種のネットストーカーですけど(笑)それくらい、追いかけちゃいたくなる時もある。そして、それがまたそのサイト自身の魅力であり強みになるケースも多いと思うのですよね。


実例を挙げれば、冒頭で引用した一つ目の記事履歴書としてのブログと日記としてのブログは完璧に別の場所でやる必要があるを初めて読んだ時のブログ主さんに対する印象と、同ブログのその次の記事ブクマがつきすぎると取りがちになる行動を読んだ後の彼への印象は、大きく変わります。きっと、1つ目のエントリに「ブログ運営ってそこまで考えてしないといけないの?」と抵抗を感じた人でも、2つ目のエントリを読むと、やっぱりブログを運営していくことで感じる喜びって誰でも似ているんだなぁ、と筆者やブログ自体に対して親近感を感じるはず。そうすると1つ目のエントリを再読した時の印象も変わってきたりするんですよね、これ不思議。


だから、ひとつのブログで書き手のいろんな一面を見せることも、マイナスばかりではない、と思います。
もちろん分けた上で「日記はこちら」とリンクをはっておくというのも手ですが、そもそもそういう手法で面白いブログを両立させるのはかなり難易度も高いし、誘導されて来てくれる人の数もどうしても少なくなってしまいます。


ここでさらに、はてブコメントの方から引用を。

 ブログって「世界で一つだけのありのままの自分」を垂れ流すツールとして使われてるけど、セルフプロデュース力の有無で人気度が違ってくると思う。


   はてなブックマーク -ココロ社閲覧部ブックマーク課 / 2008年05月06日


まさにそれを実践されている方からのお言葉なので重みがありすぎですね!! ココロ社
[後日エントリーを書く]タグが付けられているので、そちらの記事も楽しみでなりません。フガフガ。
あと、手前みそですが、カナタのブクマコメントも付記しておきます。スターも貰えて嬉しかったので!

 確かにネット用のキャラは必要。ただ、読み手としては書いてる人のいろんな面が見える方が、そのブログを継続して読む楽しさが倍増します。見せる面の取捨選択が上手なブログが一番面白い。


  はてなブックマーク - カナタマタコのはてなブックマーク / 2008年5月6日

見せる面の取捨選択


面白いことに、文章を書く、さらにブログを運営するという行為は、意識しなければしないほど、「その人自身」を表してしまうというところがあります。
何も考えずに、書きたいことを思いつくままに書く。ブログデザインも自分の好みに合わせて、自分の好きな作品に対しては何にでも感想を書き、時には批判もし、気が向いた時に自分の共感したネタに対して言及もしてみたりする。ほら、そこは貴方の趣味趣向100%の世界!


ところが、そんなブログが万人受けするかというと、悲しいことに決してそうではありません。
例えば、好きな作品の感想記事を辿って初めて訪れたサイトで、その記事を気に入った場合、「他にどんな作品観てる人なんだろう?」と隣の記事を覗いてみたりしますよね。そこにとっても個人的な日常の恨み辛みが渦巻いていたら…ちょっとがっかりしちゃう(その文章が第三者として読んでも面白ければ話は別ですが!)。日常で他人の愚痴を聞くことがそんなに楽しいわけではないのと同様に、ネット上で誰かの愚痴を積極的に読もうという人は少ないと思います。
けれど、そんな日常の私事だって、上手く書けば「親近感」として逆に読んでくれる人との距離を縮めるきっかけになることもある、というのが表現するという行為の面白いところ。


つまり、ブログが「読み物」…一種のエンターテイメントとして成立するには、やはり見せ方が大切になってくる。エンターテイメントなんて言葉を使うと大げさですが、少しでも「誰かに読んでもらう」ことを期待するのならば、やっぱり読んでくれる人がどうすれば面白いと思ってくれるのかを意識することは避けて通れないでしょう。


どういうブログにするか、に意識的であるほうが、きっといろいろ楽しい


結局、ブログをその主旨ごとに分けるとか、書き手が自分の文章でのキャラクターに留意するとか、それらは全て「自分のブログのスタイルを確立して情報を発信していく」ということ。ブログを分けるか分けないか、が重要なのではない、と思います。
そして、自分の中で何らかの方針やテーマやイメージを持った上で運営した方が、きっと面白いブログになるし、自分だって楽しい。たとえそのテーマや方針が、決して一般受けするものでなかったとしても、広大なネットの世界、それを評価してくれる人は必ずいます。きっと。ブレないサイトは強いのだ!
そして、だからこそ、そんな幸せな出会いのために、情報をプレゼンしていく姿勢を大事にするべき。


ネットで分裂している僕や君やあなたにおすすめするスタイル別キャラ管理  (妖精ホルモン)
この記事は、そういった自分のやりたいスタイルを考える上で非常に参考になると思います。


おまけ:そういうアンタはどうなのよ


では、最後にうちのブログに話を戻して締めましょう。
断っておきたいのは、偉そうにブログの手法を語りながらも、実際のうちのブログなんて数十アクセス/日の、世の中的には弱小ブログです。この記事に書いたことを意識しても、単純にアクセスアップには繋がりません。アクセス増のためには、ここからさらにテーマを工夫したり、もちろん内容を充実させたりというさらなる努力が必要でしょう。


一方でカナタ自身は、いくつかのサイトやブログ運営を経て、アクセス数にそこまで執着する時期は過ぎ去った感があります(時々アクセス数がどっと伸びたりしてビビることはある)。というか、アクセス向上に気を使いながらサイト運営することに飽きた、というのが近いのかもしれません。
それでも、自分の思ったことが手軽に表現でき、更にそれを誰かに見てもらうことまでできる、ブログという手段があるというのは非常に幸せだなぁと相変わらず思っています。今はその楽しさ、喜びを何より大事にしたいと思っているので、まずは自分が更新することを楽しいと思えるスタイルを優先する、というところに落ち着きました。


だから、うちのブログの運営方針は「ひとりのオタクの頭の中」という大きな括りのみで、細かいテーマに制限は設けていません。自分でも、きままに書きたい放題すぎてとっつきにくいブログだなぁといつも思っているくらい。要は、それを自分で意識しつつやってるからいいじゃないか、と(この辺り、エントリの主題と微妙に矛盾している気がしないでもない…)。
 
 
書いてる本人としては、読んでくださる方には、このブログで「とある20代半ばの女オタクの生活ウォッチング」を楽しんで貰ったり、さらには時々そこから、何か情報を得てもらえたらな、と願っています。一応その努力はしているつもり。あとは、カナタの紹介を通じて他ジャンルや作品のことを知ってもらえたり、腐女子にもいろいろ居るんだなぁと思ってもらえたりすれば最高、ですかね。
もう、このあたりは、何が面白くてうちのブログを購読してくださっているのか、逆にいつも来てくださる方にカナタがお聞きしたいところ。やりたい放題しすぎて何が好評なのか自分でもよく把握できていない(笑)それがまたこちらとしても面白かったり。
みんな、どんどん好きに楽しんじゃって!!
 
 
とにかく、サイトを運営することは時に自分を表現することに繋がるものであり楽しい反面、基本的に孤独な作業で産みの苦しみも伴うので、面白くなくなったり嫌になったりもしがちです。
それをできるだけ避けて、たくさんの人が面白い情報を発信し、またそれを受け手として楽しむという好循環が広がっていくことを、“1ブロガー”として願っております。

*1:ちなみにいきなり腐女子です、と名乗っている意図は「これ書いてるのは腐女子です駄目な方は引き返してね!!」という注意のためだったりします

*2:全く別の人格ではなくむしろ近い要素ですが相容れない部分があるので「混同」とします